「節電だ!」に隠された本当の理由は。

 世間では節電だ節電だと騒がれている。すこし付和雷同のような気がしなくもない。過剰な自粛は良い結果を招かないとマスコミが論調を締めた矢先に、これではどうにも腑に落ちにくい。「みんなが頑張っているときに!」といったような村意識の存在が、言葉と言葉の隙間からチラチラと顔をのぞかせている、そんな印象が拭えない。そういった発言というか風潮はあって当然だと思うけれど、それを組織が真に受けるのはどうだろうか。個々人レベルの節電と法人レベルでの節電では、その意義が大きく異なってくる。
 また個人に限定したとして、節電がどの見地から立っているのかでも、意味がだいぶ変わってくる。たとえば経済的見地からすれば、需要と供給の妥協値がギリギリであるほど健康的で望ましい。要求された量に応えることで健全な消費は促進される。あるいは道徳的見地からすれば「一人一人の意識」とでもいったところだろうか。ゴミ拾いの精神に近い。
 さて東京都では石原都知事の『自動販売機に関する発言:http://www.j-cast.com/2011/04/11092759.html』が問題になった(なっている?)。石原都知事といえば再当選が記憶に新しいが、公務の初っ端から発言が元気すぎるのではと思う。都知事選の快勝がよほど嬉しかったのかと思ったが、考えてみれば前からこの調子だった。とりあえず内容の審議はさておき、ここで気になったことが一つ。いったい、この発言を石原都知事はどの立場でしたのかということだ。
 都知事としての立場だろう。そうツッコミが入るのは必至なので補足すると、発言ではなく発想がという話だ。個人の心象から生じたものなのか、政治的包括的な論考からなのか、はたまたそれ以外の要因があったのか。気になって記事を見てみると、発言からは個人の心象が口を突いて出たように取れる(cf:「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」)。代替案の内容からでは、自身の生活習慣とは馴染みがないゆえに発した言葉というふうにしか取れない。自販機で買って冷蔵庫で冷やす。自販機のそうした使い方はマジョリティではない。自販機があるから買う。または、自販機がたまたまあったから買う。むしろそういったように購買欲を受動的に起こさせるものであって、買いたいから自販機を探すといったように購買欲が自発的なものであることは少ないだろう。株価が急落したメーカがあることも考えると、影響力を鑑みないポッとした一言は、公的な場では慎んでいただきたいものだ。
 しかし実際の話として、消費電力はどうなっているのか。
 電力会社が一般家庭の一日の平均消費電力としているのは9700Wで、一ヶ月に直すと9.7kW×30d=291kW。一方で、自動販売機の一時間の定格消費電力は600Whだから、一ヶ月に直すと0.6kW×24h×30d=432kw。つまり自販機一個で、家庭で消費する電力の1.5倍は消費しているのだー!
 ・・・・・・という結論だと、まだ早い。実はコカコーラなどの大手メーカは、15年ほどくらい前から、全ての自販機に節電対策を施している。真っ暗だった自販機にお金を投入すると、急に電気がついたりした記憶はないだろうか。非使用時は蛍光灯のみにしたり、保冷ではなく冷蔵に切り替えたりといった工夫で、実際上の消費電力を10%まで減らすことができる。さらにピーク時に機能する『節電モード』状態では、1時間あたりの消費電力を2.8%で、つまり17Wで稼動させることができる。節電という意味では、ほとんど問題にならないレベルと言えるのではないか。自動販売機による収入は、飲料業界の三割を占めるという。もしかしたら自販機の撤去は、マイナスの影響しか引き起こさないかもしれない。
 プロ野球の開幕に際しても一悶着あったが、どうにも考えを述べることの難しさを実感する。出発点が感情なのか意見なのか。冷静で論理的だと自分で思っているときほど、その判断は頼りにならないことが多い。これは年齢や頭の良し悪しなどを問わず、気付けるかどうかの違いでしかない。だからこそ難しいのかもしれないけれど、良い意味で疑うことを覚えたいものである。