評判凄まじい『英国王のスピーチ』を観てきたけど。

 素晴らしい映画だった。随所に現れるイギリスらしさ。そのどれもが印象的で、またそのどれもがこの映画の特徴たらしめている。英国式の皮肉で全力投球。ユーモアたっぷりの喜劇だった。
 舞台は1930年代のイギリス。当時、東ではヒトラー率いるナチ党が第一党として政権を握り、ドイツがファシズム国家として確立。北ではレーニンの死後に実権を握ったスターリンが、内部で大粛清の兆候を見せながら、同時に外部では共産圏の拡大も着実に始めていた。現代を生きる者からすれば、当時の政治事情はまるで映画の脚本を観ているようである。それほどまでに1930年代の時代背景は、鬱々として重く、鈍色のように薄暗い。これを題材として作られる映画は悲劇になりがちだ。ほかの料理の仕方が思いつかない。
 だが、この『King’s speech』はやってしまった。ありがちな戦争映画にヨレることもなく、コメディ色で溢れんばかりの喜劇に仕立て上げてしまったのだ。下手をすればタブー視されるようなネタへ好んで挑みかかり、見事、身体から生える指を全て使っても数え切れないような数の賞をさらっていった。しかし賞賛された勇姿の理由は、それだけではないのだ。俺が個人的に思う最大の功績。それは実在した英国王ジョージ6世を、喜劇の主人公として用いたことだ。彼は吃音症だったのだ。
 俺は障害者を、まるで腫れ物のように扱う風潮が嫌いだ。たぶん小学生のころに、親に買ってもらった芸人・ホーキング青山さんの自伝を読んだことが原因だろうと思う。「笑え!五体不満足」。俺の障害者に対する認識は、あの短所を短所のままに笑い飛ばす陽気な障害者で培われている。そして実際にも、そうであるべきだと思う。あくまで日常線の延長なのだから、下手に美化する必要はない。過度な自重と配慮は、不自然かつ滑稽。そう、滑稽なのだ。滑稽こそ喜劇における最高の素材たりうるのに、たいていはタブー扱い。おかしな話だ。特に日本ではそんな風潮が強いものだから、障害者と皇族と喜劇の組み合わせなんて、思いついても慌てて掻き消さなければいけない。英国バンザイ。
 劇中では、他にも英国映画らしいなと思うところが多々ある。「Yes TITS!」だの「FUCK!!」だのを、英国王を演じる役者に連呼させるなんて素敵じゃないか。しかもこれは開幕から終劇まで続く。「殿下は適度に罵ったほうが、発音が流暢ですな」これは開き直りではなくブッ飛んでるという表現が、もはや適切かもわからない。不敬罪?なにそれ食べられるの?ちなみに付け加えると、食事のシーンで出てくるオートミールはちゃんと最高に不味そうだから、その点は安心してほしい。
 あと面白いと思ったのは、英語だ。最近はアメリカ映画ばかり観ていた俺にとって、イギリス式の英語が耳に新鮮だったのだが、この映画にはそのどちらも出てくる。そしてオーストラリア式の発音も出てくる。あるシーンで上記三種類の発音者の会話になるのだが、聞いているとなかなか不思議。考えてみると、日常でも映画でもあまり見かけないパターンだ。
 最後に一つだけ。もし観てみようかなと思ったなら、なるべく小さい映画館で見てほしい。大きい映画館でもいいけれど、それはたぶんもったいない。なぜかといえば、この作品が喜劇だからだ。ぜひともアットホームな空間で、観客みんなで笑いながら観たほうが面白い。俺が観に行ったのはBunkamuraの第一ホールで、収容人数150名と中サイズの劇場。その丁度イイ狭さと作品とが生む雰囲気は、自然と声に出して笑いだせる居心地のいいものだった。後味もさっぱりしている。気になる誰かさんと行っても、外れではないはず。