インターネット(40歳・自由業)さんの最近

どんな分野でも、活躍が若ければ若いほど凄いことだってのはわかる。どの時代でも重要なのは早さ。10歳と30歳が同レベルで精巧な静物画を描いたとしたら、評価されるのは確実に前者だ。ただ最近、その風潮に拍車が掛かりすぎてる気もする。そのパターンは2つ。

1つは、基準よりちょっと上程度の人を誇張して祭り上げるもの。たとえば「美人過ぎる〜」。もう1つは本当に技術を持ってる人を取り上げるんだけど、フィーチャーの仕方が熱を帯び過ぎているもの。たとえば某野球の人。などなど。どちらの例にもきりがない。

この風潮を良しとするかどうかは人それぞれだろうけど、個人的には見世物みたいで、あまり好きじゃない。心象的にも気持ちいいと思ったことはない。前者にしろ後者にしろ、単純な消費物に変換されてる感じがする。なんというか、使い捨てに近い。


じゃあなんで拍車が掛かっているのか。テレビ?ネット?他のメディア?乱暴にいえば、たぶん、それらひっくるめて全部。互いが互いの原因と結果。情報が増えすぎたせいで、鮮度の落ち方が異常になってる。どんどん入れ替えないといけない。

テレビは同じ演出パターンの使いまわし。それを打開しようとした人間が、深夜番組で演出なり脚本なりを冒険する。でもその番組が成功すると、ゴールデンに引っ張り出されてくる。そして今度はそれが常套手段化する。

ネットで今一番多いのはニュース系サイト。ちょっと前まではテクスト系サイトだった。まとめブログの小見出しなんかを眺めてみると、アクセス稼ぐぜ!って感じのエントリ名がずらり。ただどれも読後感は皆無。これは個人的な感想。

他のメディア、雑誌でもいいけどあえて新聞。あれは何がひどいかって日本語がひどい。情報の詰め込みすぎでわけわかんなくなってる。その上、情報の省き方もやっちゃいけない方向で一貫してる。言うとしたら、ただの読み物化・エンタメ化みたいな。読まなきゃいけないものじゃなくなってる。


これほど情報の入手手段が多肢化してくると、共通の話題をもつことが難しくなってくる。違う集団で主要トピックが異なるならまだしも、相互の主要トピック自体をまったく知らないという状況すら起きる。

各分野で騒がれたゼロ年代も過ぎて一段落したし、ウェブ2.0なんて言葉も聞かなくなってだいぶ経つ。でも個人的には、今こそ2.0形態(情報発信の個人化)が重視されるべきだと思う。それはニュースを発信できるという意味ではなくて、自分がどういう存在か・自分がどういうトピックに関心を持っているかという主張の意味で。そうすることで集団同士あるいは集団内部自体も、やりとりがスムーズになって匿名の凶暴性も薄れていく。facebook実名主義が当然視されてきている原因はこんなところじゃないかなと思う。