人を動かす / D・カーネギー

人を動かす 新装版 おそらく自己啓発と呼ばれる類のものとしては、とりわけ黎明の時期に書かれたものだろう。幾度か改訂はされているものの、出版から五十年以上を経た現在でも、良書として版を重ねている。改訂とは言っても、引用する事例を更新しているくらいのものなので、概脈に大した影響はない。今でも年度の更新期には、新成人へ向けた愛蔵すべき“最高の”書物として平積みにされていたりする。つまりはそれが俺がこの本を手に取った理由ということでもあるし、ズバリ新宿三省堂の書店員の営業術にうまいことハメられたということでもある。最近は電子書籍やらAmazonやらの隆盛で、実店舗を持つ書店は衰退するだろうといったネガ論も聞くけれど、この調子なら活字文化も安泰だろうぜとポジティブ思考に切り替えてみる。決して負け惜しみではない。
 さて肝心の内容だけれど、俺はすこし期待しすぎていたのかもしれない。内容量としては賞味10ページもあれば事足りるのではないか、印象としてはそんなところが大きい。346ページに渡って続く啓発的な文章は、たしかに絶対的に万人の為になる内容だ。だが同時に、それは正と負、どちらの要因にもなっている。すこし目次を引用してみる。

Part1:人を動かす三原則
 1、盗人にも五分の理を認める
 2、重要感を持たせる
 3、人の立場に身をおく
Part2:人に好かれる六原則
 1、誠実な関心を寄せる
 2、笑顔を忘れない
 3、名前を覚える
 4、聞き手に回る
 5、関心のありかを見ぬく
 6、心からほめる
Part3:人を説得する・・・・・・・・・

 基本あるいは原点・原則は、どれほど環境が変わろうとも重要であり続ける。それは全ての前提であり約束事であるからだし、全ての物事に共通するからだ。シンプルイズザベスト。基礎を疎かにして応用はこなせない。土台が不安定なまま塔を建てれば崩れてしまう。読み進めていくうちに、この本が半世紀も重版され続けている理由がわかった。そういうことなのだ。重要なことに変わりはない。
 文章的な構成としては、情報商材のそれと非常に近い。まず最初に抽象的で包括的なフレーズを前置いたあと、連綿と具体的な例を挙げていく。当然、引用した例は章訓が実践されたものではあるが、またその全ての例で当然のように成功している。あまりにも不自然だ。失敗の例は一つも挙げていない。違和感を感じつつも読んでいると、まるで魔法の原則かのように思えてくる。不思議なものだ。延々とサクセスストーリーが続けば暗示もされてこよう。しかしあくまで断言する。有用でないわけではない。どれも貴重な人生訓だ。しかし箇条書きのペラ一枚で事足りる。
 あなたは傘をよく失くしたりする人だろうか。もしそうであれば、高価な傘を買うことをオススメしたい。置き忘れたりすることなどパタリとなくなる。個人的な話になるけれど、俺は1500円で買ったこの本の目次をちぎって、机の前のコルクボードに貼ることにした。すこしは置き忘れが減ることを期待したい。